music bee と プレイリスト

このHatenaブログを思い出して再開しようかと思ったのは、昨年10月にメインのパソコンを買い替えざるを得なくなったことが切っ掛けなんだけれど、色々なコンテンツの移行は結構面倒で、実のところまだ完全には終わっていない。

その中でも、数年にわたってCDから取り込んだ音楽をどう管理するのか・・

これまではiphoneの関係でitunesを使ってたけれども、iphoneを6からSEに買い替えて、iphoneで音楽を聴くことも少なくなったから、結構な量のmusicデータをitunesで管理することの合理性もなくなった。

それでとりあえずデータだけ外付けHDに移して、どうしようかしらんと思っていたが、先週だったか、music bee という優良なソフトが存在していることを知った。

昔は、footballなんとかというマニアックなソフト類があるのは知っていたけど、ちょっと使いこなすまでが面倒そうだったので止めたのだが、今回のmusic beeは、ネットで絶賛されているように、使いやすく、かつ奥行きも深そうだ。

 

musicデータはおよそアルバムにして300枚くらいか、多くはTSUTAYA とかネットでレンタルしたCDからだけど、今みてみたらオムニバスが70枚近くある。

itunesは、オムニバス以外のオリジナルアルバムも、Featuring~があると、よくvarious artists に分類されるのが面倒だったんだよなー。

music bee へデータを取り込むと、itunesの上記欠点もなく、スムーズに分類してくれた。アルバムアートが3分の1くらいは自動では表示されなかったが、まあ、これは気が向いたときにぼちぼちやろう。

 

せっかくなので、車の中で聞くCD(mp3)用のプレイリストを作ることにする。

だいたいメジャーな曲、最近の曲とかは、1年前くらいからspotfyで聞いているから、車の中で聞きたいのはマイナーな曲、カラオケで歌ってみたい曲。

カラオケというのは、ぼくの場合最近行くのは昭和な感じなスナックで(たま~にしか行けないんだけど)、ママさんは50~70才くらい、同伴者は60代前後の知り合いということが多いので、古~いけど名曲、というのを歌いたくなる。

だいたい、自分の見た目が40代なかばらしいので、「こんな曲うたえるの!」というウケ狙いというわけ。いや、ある程度好きな曲だからこそ、練習して歌いたいというのもあるけど。

↓ こんなんです!

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裕次郎ほか

 裕次郎は、今現在、歌えるのは、1.2.6.8.くらい。

 そのほかで歌えるのは、12.16.21.23.24.かな。

 

 次のリストは、マイナー、あるいはレジェンドなフォーク。

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レジェンド!

 へそ曲がりなので、普通の人が歌わないような曲を中心にしてます。

 ちなみに23.のアーティストは長谷川きよし、24.は岡林信康です。

 (この辺は同伴者を選びそう)

 こちらは今現在歌えそうなのは、18.19.20くらいか?

 なんか、通信カラオケでも入ってなさそうなのがチラホラ。

 

 ちなみに先週、今年はじめて行ったカラオケで歌ったのは、何だったけ?

 ・涙のリクエストチェッカーズ

 ・心はなれて(オフコース

 ・雨上がりの夜空に(RCサクセション)

 ・失恋レストラン清水健太郎

 ・プライマル(オリジナル・ラブ

 ・ブーツを脱いで朝食を(西城秀樹

 ・愛という名の欲望(クイーン)

 ・襟裳岬(森進一)

     あと5曲ぐらいはあったような気がするけど・・

 こうしてみると70~80年代としては割とメジャーどころですね。

 

 

はてなIDを変える

むかしむかし、ってほどではないが7年ばかり前、はてなブックマークをやってて、はてなダイヤリーも少し書きかけた。

長らくほっぽからして使っていなかったが、最近、はてなダイヤリーがブログに統合されると耳にして、ああ、やっぱり私的な覚書の場は残したいなあ、と思った。

しかし、従前のIDは、仕事の資格上の登録番号を引用していて、しかもそれはGmailの一部でも使っていたから、Gmailの記号から検索すると身バレするおそれがあるのだと気づいた。

そんなわけで、はてなのIDを取得しなおして、新しいIDでこのblogを作ることにした。

それで、わずかな従前の記事もここに移動させて保存する、と。

さて昔の記事の日付は維持できるのかしらん?

 

・・・・・

 

やれやれ、分量もわずかだったので、コピペですぐ終わりました。

これで、今日付のこの記事を「更新」したら、トップに表示されるかな?

 

あっ、編集オプションの「投稿日時」を念のため変えておくか・・

 

あとははてブの移行だけど、もう見なくなったブックマークだし、意味ないかな

あっ、まだいる

 

PCを最近買い替えて、ブックマークやら何やらの移行作業をしていると、はてなIDやこのダイヤリーのページが残っていることに気づいた。

まだ、自分は、同じ?世界のなかに棲息している。
社会はずいぶん変わった。
かつて信じていたものも相対的に捉えるようになった。

物質文明が衰退していくという確信は変わらないけど。

「世界と他者に対する“親密性”と生きる為に働くという事」

世界と他者に対する“親密性”と生きる為に働くという事


世界と他者に対する“親密性”と生きる為に働くという事 カウンセリングルーム:Es Discovery/ウェブリブログ<<


以下引用

「知の創出」のコモディティ化への戸惑い - My Life Between Silicon Valley and Japan

世の中は日に日に複雑化し、「勉強能力」「学習能力」が仕事上ますます大切になっているのは事実である。ただその一方で、それだけで飯が食える場(チャンス)が確実に減っている気がしている。インターネットのおかげで。あるいはインターネットのせいで。

それで一つの仮説として、「飯を食うための仕事」と「人生を豊かにする趣味」はきっちり分けて考え、「勉強好き」な部分というのは「音楽好き」「野球好き」「将棋好き」と同じ意味で後者に位置づけて生きるものなのだ、と考えるってのはアリなのかもしれないなと思い始めているのである。文学哲学が好きで文学部に進んだ人なんかの場合は、「最初から就職先あんまりないぞ」みたいな覚悟があって、ほんの一握りの才能を持った人以外は、「勉強好き」(自分が楽しめると思える領域の勉強)の部分を仕事で活かせるなんて、はなから諦めていた。そしてその部分を「人生を豊かにする趣味」と位置づけて生きるのは、これまでも当たり前の流れだったのだろうと思う。その感じが、文系世界では経済学部法学部のほうまで、そしてさらに理系にまで、どんどん侵食してくるイメージ。そう言ったらわかりやすいだろうか。同意できる仮説かどうかは別として。

では「飯を食うための仕事」という部分では純粋に何が大切なの? という話になるとやはり「対人能力」なんだろうな。そこをきちんと意識しておかないと、つぶしが利かないんじゃないかなぁ。そんなことが言いたかったのである。ここでいう「対人能力」は前エントリーで述べた「村の中での対人能力」ではない。組織の外に向かって開かれた「対人能力」のことだ。




自負心や存在意義を包含する自我アイデンティティには、『私は、私以外の何者でもない』という実存的価値の側面と『私は、社会環境において○○としての役割を担っている』という社会適応的な側面とがありますが、前者が過剰になれば唯我独尊的な孤立の恐れがあり、後者が過剰になればシステマティックな労働環境機械的に取り込まれる恐れがあります。

後者は、厳密には既存の社会体制への適応性や社会からの受容性とも密接に関わっていて、決定的に社会的アイデンティティの確立に失敗すれば、非社会的問題行動が遷延したり、特異な反社会的行動・組織に魅惑を覚えたりすることもあるかもしれません。

前者の実存的価値の側面は、独我論的な存在そのものの価値であると同時に、経済的利害から切り離された情緒的価値の充実でもあります。
例えば、収入を若干犠牲にする代わりに拘束時間の短い仕事に就いて、家族・恋人と過ごす時間を増やしたり、趣味の合う仲間や友人とくつろぐ時間を充実させたりといった形の幸福追求の形もあるのではないかと考える事も出来るというような事です。

エリクソンは、青年期後期の発達課題に、“親密性の獲得”を置き、それと対置するものに“孤独”を置きましたが、これは、『社会環境における役割遂行』と相補的な『密接な人間関係の確立』を意味するものです。
勿論、孤独な時間でしか出来ない行為や楽しみもありますが、誰とも関わることのない徹底的な孤独は、多くの人を憂鬱にし現実感覚を希薄化させるのではないでしょうか。誰からも好意や興味を寄せられないという孤独の悲哀は、時に、社会への嫌悪や否定の感情をも呼び起こします。

精神的な健康や安定の為には、一定以上の社会的交流や他者とのコミュニケーションが必要なわけであり、私は『仕事の為の対人スキル』と合わせて『継続的な人間関係を結ぶ為の対人スキル』も現代社会には求められるのではないかと考えます。

うまく説明できないのですが、単純に、結婚をして夫・妻・子どもを持つほうが良いというような意味での親密性の獲得ではなくて、『(本人が不本意であるような)飯を食うための仕事』が虚しくならないような、言い換えればただ自己の生存の為だけに働くのではないことを信じられるような『親密性=安らぎや幸福感を得られるような継続的な人間関係』が人間には必要なのではないかと思うのです。

親密性の概念を更に拡張するならば、『この世界への親密性』としてもよく、その場合には『人間関係だけに留まらず、飯を食うための仕事をする以上の見返りを得られる対象・事物の獲得』ということになりますが、こういった世界や他者への親密性を心底から信じられなくならない限りは、人はそれなりに社会生活に適応して、自分固有の生の面白さや楽しみを発見し続けていけるものだとも思います。


(注記:精神分析的に解釈するならば、『親密性』には性的成熟と生殖成功(子孫の継承)の意味が強く含まれるが、ここでは主張の文脈に合わせて『人間関係の親密性・継続的な人間関係・意味を感じる事象全般』という意味合いに重点を置きました)

エリクソンは、社会的アイデンティティについて、以下のように述べています。



各個人の神経症の克服は、彼(彼女)を今のような彼(彼女)にした歴史的必然を受け容れるところから始まるのである。各個人が自己自身の自我同一性アイデンティティ)との同一化を選択することができるとき、そして、また与えられたものを為さねばならないことへの転換をすることができるとき、人間は自由を体験するからである。

エリクソン自我の強さと社会病理学』より








『勉強が好きな少年』が、それを職業につなげていこうとするならば、まず考えるべきなのは、『純粋に勉強だけで生計を立てる事と勉強を知的好奇心に応じて楽しむ事との差異』であり、そういった差異を経験的にあるいは合理的に知ってもなおそれで生計を立てたいかどうかを自問することでしょう。
更には、『現代社会で“純粋な勉強”に対価が支払われる可能性』が、自らの興味ある分野(専攻分野)と自らの知的能力・勉強意欲を考えた場合に、どのくらいあるのかなどを現実的に検討していく必要もあるかもしれませんね。

しかし、そういった賢しらな計算や思惑を抜きにして『ただ好きだから、時を忘れて懸命に勉強し続けられる人』こそが、本当に、勉強好きな少年の精神を、大人になっても保ち続けている人なのでしょう。
『無垢なる子どもの精神』は、ニーチェが至上価値を見出した精神性ですが、現代社会では、既存の価値体系や経済的制約に捉われない少年の自由な精神を、社会的アイデンティティと共に持ち続ける事は困難です。

しかし、勉強好きと結びついた社会的アイデンティティの確立が困難である一方で、情報化された現代社会では、知的好奇心を刺激する膨大な情報が氾濫していて、誰もが比較的簡単に『興味ある情報を即時的に消費する快楽』『興味ある情報を題材に対話する喜び』『フローな情報を知識としてストックする充足』を得ることが出来ます。
そのことから、社会的属性と結び付けずに、精神的な満足を得る目的で勉強(知的営為)を楽しもうとするならば、現代の情報社会には、十分に整備されたアクセシブルな環境が用意されているとも言い換えられるでしょう。

サプリメント漬け

ストラテラを昨年秋から処方してもらっているけれども,効果が長続きしない。
25mgを1日2回に分けて飲むように言われているけれども,2錠目から,頭がテンパって空回りするような・・
そして,,ついつい怠薬してしまう。

薬に代わるサプリメントを,色々とネットで物色して試しているけれども,多種類飲み過ぎて,効いているのかどうかよくわからない。
チロシン(true focus)
エゾウコギ(eleuthero)
DMAE
を定番にしているけれども・・

このたび,

【独自写真】ADHDに効果的なサプリメントを色々試してみるブログ【自腹詳細レビュー】

を見て,またiherbで新しいものを注文してみた。
アスタキサンチン
NAC
ニューロ・マグ

ああ,どれか効いてくれるといいけどなあ。

just do it

毎年,年賀状には家族それぞれの近況などを書いているが,今年は情けないことに報告すべきことが見当たらない。というか,現実は知らせたくないことばかりである。
そこで,とりあえず頭に浮かんだ「Just Do It」という文句を書いた。あとで修正しようと思っていたが,そのまま印刷されることになった。

この文句は,ナイキのコピーとしておなじみだが,今回これを取り上げたのは,たまたま見つけた次のWEBページから

no title


There’s something going on here that stops us from doing what we know. It’s hidden, it’s a mystery. We all have it, but rarely know what to do about it, and worse, rarely acknowledge it.

It’s fear.



We’re going to beat the fear by doing. The only way to learn to do is to do.

Here’s the plan … don’t just read it, but do it!

・Learn by doing.
・Write down your fears.
・Now do away your fears.
・See failure as a learning tool.
・Adjust, and do some more.

ホントはもっと丁寧に説明してある。
このヒトのページを教材に英語の勉強会をしたいなぁ。

自分のための記録

この1年,読書量が増えた。
amazon欲しいものリストやはてなブックマークは異常に増殖した。すべてを読破することはもはや不可能である。

新たな読書は興奮を与えてくれるけれど,読み終わると内容の9割を忘れていたりする。
仕事で,自分のやった事件のストーリーでさえ7~8割を忘却している。

自分のために記録を残しておいてやりたい。

…と思ってこのダイアリーの頁を試作してから,すでに半年が過ぎていた。
実際,この半年,ちっとも成長も前進もしていないか。

このダイアリーはリアルの知人には見せられない内容になるだろう。

ああ,あと3分でインターネットタイマーにより記述不能となる時間だ。

さっき見たwebぺーじだけでも記載しておこう。
注意欠陥・多動性障害 - アンサイクロペディア

以下引用。

●何かこぼした経験が人の96789倍
●マルチロックオンシステム搭載。ひとつのことに集中できないとかそういうことではない。

●学生時代もわりと珍獣扱い
●物に意思と生命を与え、勝手に移動させてしまうという特殊能力を持つ。けっして片付けられないとかそういうことではない。

●謝ってばかりだ
●時間の流れを脳内で自分ですら理解不能なまでに複雑に絡み合わせる特殊能力を持つ。
●やりたくない事を無理矢理させると発狂する
●物事の開始を永遠に先送りする特殊能力を持つ
●瞬間湯沸かし器。熱しやすく冷めやすい。

つまりやりたいことしか出来ない脳みその持ち主であり、ドジっこの最上級がADHDなのだ。若い美女なら許してもらえるかもしれないが、45歳男性(ハゲ)だとあまり許してもらえないかもしれない。